第二十二回 コーショーのちょっと美味しい話★
〔フェデラーの潔さ〕
最近(おいしい写真)が撮れなくて、このブログへの掲載量がめっきり減っています。
最大の理由は、(美味しいもの)との出会いが無いということですが、食べることに夢中になって撮り忘れてしまうこともしばしばで、食いしん坊には困ったものです。
やっぱりガラケーからは卒業したほうがいいのかな?とも思っていて、画素数の差もさることながら、被写体に向けて携帯を構えたときのカッコが、スマホの勝ち!は明白なので、意地っ張りもそこそこにしておかないといけませんね。
ウインプルドンではジョコビッチが全仏の雪辱を晴らし連覇を達成しましたが、敗れたフェデラーの潔さに観衆の多くが胸を打たれていました。
敗れ去る最終ゲームまで、自分のもてる力をフルに発揮することはスポーツマンシップとして当然と言えば当然なのですが、それでも人間ですから、感情が体をコントロールできなくなることはあります。
最終ゲームのフェデラーは、サービスゲームであったにもかかわらず、ジョコビッチが全英のトロフィーに名を刻むことを誰よりも早く認めていたかのようなプレーに徹してました。
『何が起きるかわからないのだから、ギリギリまで諦めない』と語るのは、どうも二流のセリフなような…。
フェデラーはプロテニス界に10年以上君臨しつづけている絶対王者でした。
でも〔栄枯盛衰〕も世の常であり、超一流プレイヤーであれば、当然の如くその堺がわかるもので、即引退とはしないまでも、後継者が現れたその時からバトンを渡すまでの責務を全うするものです。
マージャンに〔投了〕は無い。
だって役満がある、だって親の連荘があると言われて久しいのですが、本当にそれが超一流や一流プレイヤーの言い分として観衆が納得してくれるものか?フェデラーのプレーを見ていて、今まで以上に疑問符が付いてしまったのでした。
ドラ
最終局の親番での配牌です。
持ち点はマイナス2万点。
ファイナルのオーラスで、この親番で7万点くらい稼げば優勝の目がある、あるいは準優勝の目がある。
トーナメントの最終戦で、7万点くらい稼げば通過の可能性が出てくる。
リーグ戦の最終節で、同じく7万点くらい稼げば昇級の望みが出てきたり、降級の危機を免れる。
そんな条件下であっても、マイナス2万点している過程において、わずかでも自身に不甲斐ない局があったとしたら、批判は百も承知のうえ〔投了〕の第1打 を選択します。
こんな河にします。(同じ牌は並べません)
優勝者や準優勝者、勝ち上がり者や勝ち上がり争いを繰り広げている者、昇級者や昇級争い、あるいは降級争いを繰り広げている者を〔リスペクト〕するひとつの手段として、わたしは〔投了〕します。
この考え方の是非は、観ている方や愛好者の皆さんに委ねることにして、できるかぎり〔投了〕する側にならぬようにしたいなと、対局へのモチベーションを高めています。
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