~卓上から宇宙をみる~④
~卓上から宇宙をみる~④
<ゲーム>と<勝負>の違いについて、もっと深く考えたほうがよいのでは?と最近強く思うことがあります
効率よく手組みしていくことは、マージャンを打っていくうえで欠かすことのできない技術であることは私もよく理解しています
ところが、<三つ子の魂、百までも…>の精神なのか、初心者や初級者の時期に培ったマージャンの基本を、金科玉条のごとく守り続けてしまうと、永遠に<勝負>という領域に踏み込めない打ち手で終わってしまいます
たとえば次の手牌(南2局東家 7巡目)
ドラ
ここにをツモってきたとき、何を切っていきますか?
恐らく、場をくるりと見渡して、と、どちらが3枚になるのか予測し、その可能性が低いほうの牌(か)を打ち出していくのではないでしょうか
タンヤオ・ピンフ、もしかするとイーペーコー付きでドラが2つの魅惑的手牌。まさかこの手を七対子に決め打ったほうがいいかな?などと考える打ち手は、よほどのトイツ好きか、ヒネクレ者と分類されるはずです
マンズが3メンチャン、ピンズがリャンメンなのですから<ゲーム>として捉えていれば、か以外に切る牌はありません
ところが、<勝負>としてマージャンを捉える打ち手は、いついかなる場合においても、<リスク>をとりにいける打ち方が出来るのです
<リスク>をとりにいくこととは、ありきたりの安全な選択をせず、その局に対する自らの<大局観>に基いた非効率な一打を放っていける選択を意味します
例題の手牌から、時としてやを迷うことなく切っていく打ち手は、マージャンを<ゲーム>としてだけではなく<勝負>として捉えていける卓越した胆力が備わっています
皆さんは、この<麻雀アカデミー>に通って来られている<少数派>です
忘れてはいけないことがひとつあります
マージャンの世界において<少数派>でいられることは、とても幸せなことです
その<少数派>でいるためには、確固たる<信念>と<大局観>を持っていなければならず、道は平坦ではありません
この根底に流れる<信念>と<大局観>はどのテーマにおいても応用可能なものであることも、どうか覚えておいてください
※本文は東京麻雀アカデミー(雀友倶楽部)使用テキストより
≫コーショーのちょっと美味しい話一覧