2025年1月1日(日)~卓上から宇宙をみる~125
〔ラスを引き受けるのもまた好し〕
オーラスを迎え、3番手の南家と1万7千点差のラス目の西家が配牌でこんな手牌を手にしました。
ドラ
ドキドキの配牌です。
そして第1ツモが 。
西家の手がピタリと止まってしまいました。
345?それとも567の三色?
『迷ったときはツモ切れ』と教わったこともあるし、『伸びてきたほうは切るな』と教わったこともあるし、いったい何を切ればいいのか、わからなくなりました。
一方、トップ争いは熾烈を極めていて、トップ目の親と2番手の北家との差は3千点しかありませんでした。
2番手と3番手との差は2万3千点離れていましたから、場の空気としては、ラス争いより、トップはどちらの頭上に輝くのか、というものがありました。
そして追いかける北家の配牌はこうでした。
ドラ
役牌が2種トイツにドラがひとつ。
トップ逆転はもう目と鼻の先といったワクワク感いっぱいの配牌です。
第1打に を切った西家は、2巡目に をツモ切りし、これを北家が「ポン」。
3巡目に引いてきた もツモ切りし、これも北家が「ポン」。
ポン ポン
更には次巡引いてきた もツモ切ってチーされ、北家はアッという間にトップ逆転のテンパイ。
一方、西家の手牌は配牌から1mmも動かず
ドラ
このリャンシャンテンのままでした。
6巡目、北家は難なく をツモってゲームセット。
あっさり逆転された東家のやるせない表情が印象的な終わり方でした。
よく目にするオーラスの光景なのですが、この北家の動向を仕方ないとするのか、もう少し配慮があってもよいのでは?と考えるのか、議論は分かれるところです。
この西家の打牌が、手牌によっては親を利することもあるわけで、たまたま北家に風が吹いただけで、西家の鳴かせを責めるのは筋が違うと云う考え方もあるでしょう。
麻雀とは実によく出来ていて、ラス前やオーラスになると、ラス目の打牌が戦局を大きく左右することが多くなります。
それはひとえにラス目の<意識>に関わる問題とも云えるわけで、他者はともかく自分はどうなのか?という問答があってもよいのではないかと思えるのです。
たとえば、ラス目なのだから、これ以上他家に迷惑はかけられないし、ましてやトップ争いに水を差すことはしないという<意識>を持ったとしましょう。
それでもラス目の牌回りというものは悲劇的な結末に向かうもので、迷惑をかけないという<意識>を強く持っていても、誰かの迷惑になるという現実があります。
そうであったとしても、その<意識>が他家にマイナスに働くかと云えばそうではなく、他家から見れば<意識>を持たずに平然とされるよりは、<意識>を持って局に臨んでくれている姿勢に感謝の念を抱くものです。
<牌品高>の実践こそ<愛>を育むのです。
※本文は東京麻雀アカデミー(雀友俱楽部)テキストより
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