2025年9月15日(祝月)~卓上から宇宙をみる~142
〔第1打のドラ〕
トップ目に立っている南家が、次のような配牌を手にしていました。
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ドラ ![]()
第1ツモが
。
トップ目らしい好形の3シャンテン手牌から何を切るのかなと見ていると、さして迷うふうでもなく、ドラの
を第一打に選んでいました。
その理由としては
(1)ドラ
に
や
がくっついても、タンヤオは言うに及ばず、ピンフにもなりにくく、イーシャンテンからテンパイに向かう折、アガリが近づくとは考えにくい
(2)いずれ河に放出する可能性の高いドラであるならば、他家が「ポン」と声を出すには
早すぎる1巡目がベストなタイミングではないか
(3)雀頭候補としての魅力はあるものの、孤立している
を抱えた形よりも、連続形を増やしていったほうが雀頭作りのメリットが大きい
たしかに
これらの理由を述べられれば、トップ目に立っている打ち手の選択としては至極当然に映ってしまうのです。
とは言うものの、〈プロ〉の選択としてはどうなんだろう?と正直思ってしまいます。
〈プロ〉はできるかぎりアガリに向けて正確な手順を踏むべきだと考えるタイプと、〈プロ〉はファンを喜ばせる存在であるべきだと考えるタイプに分かれるはずです。
そのときそのときのベストな選択をして和了率を高めていくことが〈プロ〉の仕事だと考えているのであれば、果してその精度は?と思ってしまいます。
たとえば先の手牌、4巡目にドラの
を引いてきて、7巡目には次のようなテンパイが組めたとします。
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ところが、第1打にドラ
を打ってしまうと同じ7巡目ではまだイーシャンテン。
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ドラ ![]()
「たまたまですよ」「長く打っていれば第1打
切りのほうが得ですよ!」「トップ目はできる限りスキを作らない手順を踏むべきなんですよ」と肯定派は言います。
これは弁解でもなんでもなく、確信に満ちた表情で語ってくれるのです。
私は風変わりな性格なのかもしれません。
なぜなら、〈プロ〉はレアケースを見抜く〈眼〉と〈感〉を併せ持った存在だと信じ続けているからです。
〈プロ〉と〈アマ〉の大きな違いは、〈大局観〉と〈予測力〉だと思っています。
一見無茶に思える、一見実現不可能に思える、「なに夢ばかり見てるんだよ」と思わせておいて、アッと驚くような結末をファンに見せる、それが〈プロ〉なのではないかと思っています。
極めて小さな可能性を大きなチャンスと見立てて前進していく。
たとえアガれなくても感情移入してくれたファンたちと共に一喜一憂する、そんな〈プロ〉がもっともっと増えてくれたらいいのになとも思っています。
第1打にはメッセージ性の高い牌たちが並ぶ、そんな対局が増えますように。
※本文は東京麻雀アカデミー(雀友俱楽部)テキストより
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