2021年4月1日(木)~卓上から宇宙をみる~㉟
~卓上から宇宙をみる~㉟
〔牌に愛される打ち手〕
モンド名人戦での出来事…
ドラ
こんな形になったのが6巡目のこと。
8巡目 ツモ 打
10巡目 ツモ 打
12巡目 ツモ 打
15巡目 ツモ 裏ドラ
このマンガン和了を控え室で観ていたあるプロは、「こいつホントについてるよなぁ。前局あんなヘボな打ち方して他家にマンガンをアガらせておいて、次局にこうだもんナァ。ちゃんと打つのが馬鹿馬鹿しくなるよ」と嘆いていました。
対照的に解説席のバビィは、「やっぱり牌に愛されてますねぇ」と感嘆の声をあげていました。
《牌に愛される》………この最高のフレーズを貰えたプロの打ち方は、ごくごく普通で、一見すると誰もが真似できそうな打ち方です。
でも、マージャンは<人間>と<人間>が卓を囲む性質上、絶え間ない<心>のぶつかり合いによって、普段の自分では考えられないような選択ミスを犯してしまう奇妙な側面があります。
テレビ桟敷でワイワイやりながら観ていたり、打ち手の後ろに立って観ていると、『えっ⁈どうしてそんな牌切っちゃうの⁇』とか、『えっ⁈どうしてここでオリちゃうの⁇』とか思ってしまうシーンはたくさんあります。
でもいざそこに座ってしまうと、いろいろな感情が音を立てて沸き上がり、普通の選択ができなくなってしまうことも多いんです。
ところが………その《牌に愛される》プロは、たま~に普通ではいられなくなるようですが、普通の打ち手の多くが選択ミスを犯す状況でも、間違えない打牌ができる人なんです。
平均台を歩いた経験のある人なら容易に想像がつくと思いますが、平均台の高さが1mや2mくらいなら、端から端まで普通に歩けるはずです。
しかし、高さが3m……4m……5mと上がっていくと、普通の歩き方ができなくなって、やがて足がスクみ、1歩目すら出せなくなります。
かように<人間>の<心>はデリケートにできていて、かつ弱いものです。
訓練によって多少は<心>が鍛えられ、普通のことが出来る範囲が広がるものの、それとて限界があります。
たとえ話が長くなってしまいましたが、その《牌に愛される》プロは、常人では到達できない<心>を持っていて、なおかつその<心>に濁りが無いという偉大さがあるのです。
もちろん、どのような修業をそのプロが積んだのか知る由もありませんし、凡人たる我々がその域に到達するわけもありませんが、《牌に愛される》ように心がけることくらいは出来るのではないでしょうか。
打っている最中に<心>の濁りをとるところから意識してみませんか?
相手の一挙手一投足に神経を尖らせることより、相手ひとりひとりのマージャンを受け入れ、自分がワガママになっていないかを素直に確かめながら打っていこうではありませんか!
かねてから提唱している《品格ある打ち手》と《牌に愛される》こととは同一線上にあると位置づけ、自身の<心>を豊かに高めていこうではありませんか!
※本文は東京麻雀アカデミー(雀友俱楽部)テキストより
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