2022年2月1日(火)~卓上から宇宙をみる~55
2022年2月1日(火)~卓上から宇宙をみる~55
〔卑しい和了〕
先日こんなことがありました。
東1局に北家にハネ満ツモられ、東2局では開局に親っカブリした北家にマンガンをツモられ、▲5000点で迎えた東3局の親番、7巡目に をツモり次のような手牌になりました(ドラ )
いつもの私であれば何の躊躇もなく、 を切り、456の三色に照準を合わせるのですが、ハネ満→マンガンとカブッて迎えた親ということもあり、効率重視の 切りを選択しました。
次巡、待望の が出てポン。
場にはワンズが高めでピンズが比較的安かったので、 切りとはせず、 を切り、~ と ~ の受けを残すイーシャンテン構えにしました。
すると2巡後に上家から が出てきてチーをし、打 のテンパイ。
ポン チー
ピンズの出が多い場況だったこともあり、すんなり が出てきて5800を仕留め連荘と相成ったわけですが、「ロン、5800」と言いながら、なんだかとても自分が〔卑しい〕人間に思えてきて、その局以降アガりに向かう気力が萎えてしまいました。
たかだかハネ満→マンガンとツモられたくらいの親番で、ガムシャラに5800点をアガりにいく自分が情けない存在に映り、『それでもプロか』と恥ずかしくなりました。
ドラ
正々堂々と(こういう表現を使うこと自体に問題があるのかもしれませんが) 切り、カン を埋めてダブ東のトイツ落としをして、 を引き入れてのリーチ
この最終形を作りにいくことを己の信念や麻雀観として、今までプロ稼業をやってきた身ではなかったのか?
ダブ東をイチ鳴きするにしても、さらに → と外し、あくまでも456の三色を狙ってのマンガン打法をとることが、曲がりなりにも命名されている<土田システム>ではなかったのか?
ポン
フラットな状況ならば、アガれなくてもいいから、チャンスがあるかぎり<打点系>の打ち筋を選択するという<システム>を唱えながら、ちょっとした圧力や後手感によってメンタルが揺れ、『アガりに近づける』打ち筋を選択する〔卑しさ〕に辟易してしまいました。
『だって人間だもの』という救いの言葉はあるものの、弟子たちは言うに及ばず、応援していただいているファンの皆さんや、いつも御多用中にもかかわらず、雀友倶楽部まで足を運んでアカデミーに参加していただいている皆さんに対し、申し訳が立たないアガり方をしていることに、自分自身、『いったいいつからそんな打ち手になってしまったのか?』とゲンナリしてしまいます。
プロはイメージを裏切らない存在であり続けなければならないと思っています。
もちろん、進化するために、自分で作った<システム>を壊し新たに作り直すことも必要なことですが、私のベースにある信条や麻雀観を歪めてはならないのです。
そこを歪めてまでアガりを拾いにいくのは、〔卑しさ〕以外の何ものでもない、そう言い聞かせて卓に着くことが、プロとしてのあるべき姿なのかなと思っています。
※本文は東京麻雀アカデミー(雀友俱楽部)テキストより
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