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2025年12月1日(月)~卓上から宇宙をみる~147

〔損得を超えていく道〕

先日、ある集まりの席で愛好者の方からこんな質問をされました。

「自分がラス目にいるときには、2番手や3番手の人に自分んが近づくような策を考えて、何とかラス脱出を図ろうとするのですが、その考えは間違っていますか?」
具体的には?と訊いてみると
「例えば下家の親がトップ目だったとします。その親が一色手で仕掛けているところに3番手の人からリーチが入ったとします。
そんなときは他に安全牌があっても、合わせ打ちできるのであれば、親の指向している一色牌を優先して切るようにしています。」
それはどうしてですか?
「だって、その親の手を進めさせて、3番手からアガって貰ったほうが得じゃないですか。たとえ親にツモられたって、リーチ棒分3番手との差が縮まるじゃないですか。」
確かに・・・
ゲームによってはトップは無理かなと思えるときは多々ありますし、そんなときはラスを引かずに済むのがベターですし、2番手で終わればベストと考えるのは普通です。
ですから、着順的なことだけで損得勘定するならばこの愛好者の考えかたは正しいと言えなくもありません。
ましてや、麻雀で戦略を練ることに、打つこと以上の楽しみを見出す愛好者もいるわけで、私の口から否定しようのない質問にも思えました。
ですからその思考に賛意は示しつつも、私なりの〈麻雀観〉を話してみました。

リーチがかかったときもそうなのですが、リーチ以前にはチー・ポンすることなど考えてもいなかった打ち手が、かかった途端、1ハンでも安くしようと一発消しのチー・ポンをしていく戦略。
これと同じ理由で、すでに仕掛けを入れている人の上家が、リーチ者の現物や同巡切られた好牌を手牌の中から抜いてチーさせて、リーチ者との撃ち合いを期待する戦略。
わずかでも自分の失点が減るように仕向ける戦略なのですが、果たしてその光景を見た麻雀の神様は、よくやったと賞賛するでしょうか?
あ、また始まった浩翔の神様論が・・・
見ようとしないから見えないのでは?と云いたいところですが、これらの戦略の成功体験が重なってしまうと、永遠に麻雀の神様から愛されない打ち手になると断言してもいいでしょう。
なぜなら、人の下に麻雀が存在するのではなく、麻雀は人の上に存在しているからです。
人知を超えたゲームであることは、よほどのお馬鹿さんでないかぎり、どんなに損得勘定に長けた打ち手であっても知り尽くしているはずです。
ですから一時的に助かりたいがために抗うのは見苦しいし、不遜に思えるのです。

あるタイトル戦で日本プロ麻雀連盟の滝沢プロが、優勝目前のオーラスで、ハネ満ツモ条件の魚谷プロからリーチがかかったとき、一発消せる牌が出てきたにもかかわらず、チーをせずに一発でツモられて逆転優勝されてしまったことがありました。
損得だけを考えるのであれば、1ハンでも下げるチーの一手だったのでしょう。
そんな子供にだってわかる理は滝沢プロは承知のうえで一発を消さなかったのです。
優勝がかかった大詰めでそれができるプロはほとんどいないかもしれません。
「バカだな」と嘲笑しているプロもゴマンといたはずです。
でも滝沢プロの〈美学〉が一発消しをさせなかったのです。
〈美学〉は〈麻雀観〉と置き換えてもいいでしょう。
元々気品のある彼の麻雀スタイルが好きだった私は、その出来事以来、熱烈なファンのひとりになりました。

これぞ麻雀の神様に愛される本物のプロ!!

私に質問してくれた愛好者の人、話が終わることには目をキラキラさせて「麻雀ってホントに素晴らしいゲームなんですね」と言ってくれました。

※本文は東京麻雀アカデミー(雀友俱楽部)テキストより


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