2021年9月15日(水)~卓上から宇宙をみる~㊻
~卓上から宇宙をみる~㊻
〔手牌とは、目の前にある13枚と河の総称である〕
ドラ
ツモ →打
ツモ →打
ツモ →打
ツモ →打
ツモ →打
ツモ →打
ツモ →打
ツモ →打
ツモ →打
ツモ →打
ツモ →打
ツモ →打
12巡目にテンパイさせたこの手牌の最終形はこう。
そして その河はこう。
〔手牌〕という用語の意味を自分がテンパイ→アガりに持っていこうとしている13枚だと思っている人は多いようです。
でも私はこう考えるようにしています。
〔手牌〕とは、目の前に置かれている13枚(カンをしているともう1、2枚増えますが)と、自分が河に切っていった牌たちの総称であると。
《不要牌を捨てていく》という感覚を持っていると、なかなか河の牌にまで気が回りませんが、自分の意志で切っていった牌たちを仲間はずれにしてはいけません。
手積み卓で打っている人であれば、すぐに理解できることなのですが、次局に移る際、必ず洗牌してから城壁牌を積み上げていきます。
そのとき、好むと好まざるとにかかわらず、自分の目の前にあった牌たちと河の牌たちは合流して混ざりあい、次局の城壁牌となっていきます。
自動卓も同じです。
洗牌する・しないにかかわらず、牌たちは合流して混ざりあい、次局の城壁牌となっていきます。
ですから、局が終わったとき、目の前に置かれている13枚と、自分が作った河は一体化されるという意識を持つことがとても大切になってくるのです。
「また何をワケのわからないことを書いているの?ツッチー」とお叱りを受けそうですが…
最終形の13枚と切っていった牌たちで構成される河は、次なる局(自動卓の場合は次々局)の布石になると私は思っています。
偶然配られているように見えるツモ牌も、実は自分自身が〔手牌〕として作ってきた軌跡なんだと考えるとまたひとつ麻雀が面白くなってくるはずです。
アガることのできない77%くらいの局の手牌をどう作っていくのかで、23%の和了局が決まってくると考えていたほうが、どんな局でも一生懸命に手牌を育てようとする気になれるはずです。
ドラ
ツモ →打
ツモ →打
ツモ →打
ツモ →打
ツモ →打
ツモ →打
ツモ →打
ツモ →打
ツモ →打
ツモ →打
ツモ →打
ツモ →打
12巡目にイーシャンテンになった手牌の形はこう。
そして その河は
冒頭に並べた手牌とはまったく違う姿形となっています。
どちらの打ち方が正しいとかを判定することに意味はありませんが、その牌姿がいつも自身の麻雀観を映しだしたものでれば、それでよいのではないでしょうか。
テンパイの形、つまり最終形と呼ぶ13枚をどう作っていくかに腐心して、河の牌たちのことをお座なりにしてしまうと、後々の局で牌たちの反乱に遭うでしょう。
ですから、どんなにアガれそうにない配牌をもらっても、その局が終わるまでに、〔手牌〕をどんな形に育てようか、あるいは我慢の〔手牌〕に踏み留めようか、一打一打に魂を込めるべきなのです。
一番避けなければならないことは、〔手牌〕は目の前にある13枚だと思い込んでしまうこと。
そして〔河〕を単なる不要牌の溜まり場である〔捨て牌〕だと思ってしまうことです。
牌たちがいつもあなたを見ていること、忘れないでくださいね。
※本文は東京麻雀アカデミー(雀友俱楽部)テキストより
≫新着情報一覧