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2021年11月1日(月)~卓上から宇宙をみる~㊾

~卓上から宇宙をみる~㊾

〔小考・中考・長考〕考

私は平成4年~6年の2年余り、<雀鬼会>に通った経験があります。
皆さんの<雀鬼会>のイメージと言えば、恐らくその<速さ>に尽きるように思えます。
確かに私の麻雀キャリアにおいて、あの時ほど速く打てたことはありません。
ツモってから考えるのではなく、打牌をして次のツモが来るまでの2~3秒で考えるという訓練は、想像以上にハードなものでしたが、ふり返ってみると、素晴らしい経験をさせて貰ったような気がしています。
もちろんここで<雀鬼会>を礼賛するつもりはありませんが、1時間で4ゲームできる麻雀があり、一方では1時間で1ゲームを楽しむ麻雀もあります。
どちらがイイという話ではなく、それぞれの麻雀シーンを楽しむという点においては、1ゲーム当たりの時間があまり長くなってしまうのは困りものです。
なぜ困るかというと、時間は有限でありより多くのゲームを楽しもうとするならば、やはり1ゲームにかかる時間は長くないほうがいいかなと思うからです。

これはあくまで私見ですが、打ち手の意識の中に<長考>の良し悪しというものがあるとするならば、<中考>の良し悪しについても一考の余地があるのではないでしょうか。
麻雀シーンにおいて、例外を除き、<長考>に次ぐ<長考>というシーンは稀で、<中考>に次ぐ<中考>がゲーム時間に影響を及ぼしているような気がしてなりません。
<中考>には次の3つのパターンがあるように思えます。

①リーチがかかって、オリようと思っているのに手詰まりしたとき
②優勢な状況のとき、アガりたい手が入って、手順ミスが無いように打ちたいとき
③劣勢の親番で、どうしても連荘したいと思っているとき

<長考>は20秒以上かかるケースが多いようですが、さすがに手番ごとに<長考>することはなく、1局に1回も無いのが普通です。
ところが、10秒~20秒くらい止まる<中考>には連続性があり、本人にはほとんど止まっている自覚がないくらい、繰り出す1打の選択に没頭しています。
ですから<長考>のケースでは、対局相手を待たせて悪いなという自覚があるものですが、<中考>には罪の意識がほとんど無いという問題点があります。

最後に<少考>について少し触れておく必要があります。
5秒~10秒、ふと手を止めて考える行為ですが、多くのケースで無意味というか無駄な<少考>が行われています。
<仕掛けの判断>、<リーチ判断>、<手筋判断>、<押し引き判断>、<ドラ切り判断>。
それぞれの判断に<手迷い>も加味され、時間がいたずらに消費されているのです。

初心者~初級者、あるいは中級者あたりまでの打ち手は、いくら考えてもいい、そう思っています。
いろいろな出来事に慣れてないわけですから、ゆっくり時間を使って判断していけばいいのです。
でもそれ以上のクラスの打ち手は、ツモってから考える麻雀から、切ってから考える麻雀にシフトして欲しいなと思います。
そして4人で共有している<時間>を大切にして欲しいと切に願っています。
ゲームできる<時間>は有限なのですから。

※本文は東京麻雀アカデミー(雀友俱楽部)テキストより


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