2022年10月1日(土)~卓上から宇宙をみる~71
〔幸せを感じたい〕
『あなたはどんなときにマージャンが楽しいなと思えますか?』という質問を投げかけられたら何と答えますか?
・自分が一番好きな役が完成したとき
・役満をアガれたとき
・クズ手をアガリまでもっていけたとき
・自分の好きな相手3人と卓を囲んでいるとき
・配牌時に思い描いた手でアガれたとき
・相手のロン牌を止めたとき(テンパイ時)
・マンガン以上の手がアガれたとき
・仕掛けの安手がアガれたとき etc・・・
いろいろ好きになる要素はあると思いますが、私は「打っているときに牌と牌で会話ができる3人と囲んでいるとき」に無常の喜びを感じます。
マージャンというゲームの酸いも甘いも知り尽くしている3人と打っていると、ミスであれファインプレーであれ、その哀しみや喜びを共有できます。
自分がアガること、自分がトップを獲ること、自分がラスを引かないこと、自分が勝つこと、自分が放銃しないこと・・・なんて大したことではないんです。
卓を囲んでいる4人それぞれが別々のことを考えながら打つマージャンとは違い、始まりから終わりまで4人が似たようなことを考えながら打つマージャン。
そんなマージャンが打てるなら、最高に幸せだなと思えるんです。
誤解があるといけませんから、手牌をひとつピックアップして説明しておきます。
ドラ
南1局の南家6巡目のものです。
そして上家に座った親の手牌がこれ。
ドラ
南家は1万点のトップ目。親は▲5千点の3番手でした。
ところがこの親は、 を引こうが を引こうが が埋まろうが、 も も手牌から放さずに打っていったのです。
つまり、自分のことだけを考えて打ってしまうと場が壊れてしまうという判断の下、下家のトップ目に動かれないように打ってしまうとアガリから遠ざかることは百も承知のうえで、最後の親番は犠牲にする覚悟を決めて打っていったのです。
今の時代は(個)の時代と言われているし、マージャンも(個)を優先するあまり、自分さえ助かればいい式の打ち方が増しているようにも思えます。
べつにそんな打ち方に注文をつけるつもりはありませんが、もう少しだけ人間の<心>の部分にスポットライトを当てたマージャンがあってもよいのでは?と思ってしまうのも事実です。
マージャンを打つなかで、『幸せ』を感じる時間を増やしていけたらいいなと強く思っています。
でも『幸せ』は自分ひとりだけで感じることは難しく、卓を囲む4人の<心>がひとつになったときに感じられるものではないかなと思っています。
「牌と牌で会話ができる」
「相手の痛みを自分の痛みのように感じられる」
「相手の喜びを共に分かちあえる」
そんなマージャンが打ちたい
そんなマージャンを広めたい
そんなマージャンと出会いたい
そして、マージャンを打っているときに、幸せをたくさん感じてみたい。
私のささやかな希望です。
※本文は東京麻雀アカデミー(雀友俱楽部)テキストより
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