土田浩翔オフィシャルウェブサイト

土田浩翔オフィシャルウェブサイト 麻雀の宇宙へようこそ

新着情報

ツイッター

2023年10月15日(日)~卓上から宇宙をみる~96

〔企みをもたない強さ〕

「企まない」というスタイルを貫くことは、簡単なようで難しいものがあります。
企むこととは、対局相手を陥れる算段をするということに他なりません。

リーチがかかったとき、下家が一色手に染めて字牌をポンしていたら、リーチ者の現物や、いま通ったばかりの牌を合わせたて、「ハイ、どうぞ、リーチ者と闘って」と企みを入れる打ち手。

一萬:麻雀王国三萬:麻雀王国五萬:麻雀王国二筒:麻雀王国四筒:麻雀王国六筒:麻雀王国三索:麻雀王国六索:麻雀王国七索:麻雀王国九索:麻雀王国九索:麻雀王国北:麻雀王国北:麻雀王国 ドラ 九萬:麻雀王国

箸にも棒にもかからない手牌をもらった南家が、2巡目に親が打ってきた 二萬:麻雀王国 をチーして 六筒:麻雀王国 を切る。
親の目からは、マンズの一色手、純チャンタ三色やチャンタドラドラ、あるいは役牌の後付け、マンズの一気通貫など、二萬横:麻雀王国一萬:麻雀王国三萬:麻雀王国とさらしたシュンツから想像できる手役を想定します。
まさか、2巡目という早い段階で、よもや役の無い仕掛けをしてくるなどとは、ツユほども考えないはずです。
こうすることによって、親は手順の変更を余儀なくされたり、満貫級のアガリをアシストすることのないよう、細心の注意を払って打つことになるのです。
そんな親の動向を見てほくそ笑む打ち手がいたとしても不思議ではありません。
時にはこんなことも・・・
自分がなんとなくイヤだなと思う相手が親のとき、下家が何らかの目標を定めて仕掛けてきたら、「どうぞどうぞ、食べて食べて」とばかりに、ドラや生牌の字牌やドラそばを手牌から中抜きしていく打ち手。

極端な例を挙げ過ぎたかもしれませんが、『企むこと』は大なり小なり、打ち手が劣勢に立たされていたり、気分がモヤモヤしている時に起きやすいものです。
もちろん、勝つための手段として、さも優れた戦術を駆使しているつもりの打ち手も多いのですが、所詮『企み』は『企み』です。
相手を陥れてまで勝ちたいの?という話になると私は思っています。

ですから、自分自身がそんな気持ちに追い込まれないよう、打っている最中に心がけなければならないことがあります。
その心がけさえあれば、『企むこと』に脳は作動しないはずです。
その心がけとは、マナーと作法を含めた、『所作・ふるまい』を整えていく意識のことです。
行き着く先は<摸打の美しさ>です。
そして、対局相手への思いやりです。
相手が不自由していることはないか?
点棒授受に不便はないか?
ひとつひとつの牌を大切に扱っているか?
などなど、気づけることはたくさんあるはずなのに、つい自分の手牌に夢中になってしまい、気づけぬまま対局していることが、『企むこと』につながっていくのです。
『所作・ふるまい』を整えて、相手を思いやる気持ちで打っていれば、自然に相手もその輪を作ってくれるようになり、対局から『企み』が消え、純粋に牌たちとの会話が楽しめる環境が整うのです。

私は少なからず『企み』の多い打ち手でした。
だから、よく分かります。
レベルの高い打ち手や、『牌品高』を目指そうとする打ち手には『企み』が無く、麻雀の本質に迫っていける資格があることを。
その資格を得ないかぎり、仲間内での勝った負けたに一喜一憂するだけの打ち手で終わってしまい、本物の強さが身につくことはないのです。

※本文は東京麻雀アカデミー(雀友俱楽部)のテキストより


≫卓上から宇宙をみる一覧