2024年1月1日(月)~卓上から宇宙をみる~101
〔私が第1打に字牌を切らない理由①〕
平成5年の夏頃から、私の第1打に字牌が顔を出すことはなくなりました。
もう30年くらいになります。
めっきり打つ機会が少なくなった今では、公式戦も含め、月に12~20G、年間140~240Gくらいしか打てませんが、平成5年当時は月に200Gは打ってましたから、この30年でおおよそ5万G余りは打ってきました。
1G、10~12局くらいは打つでしょうから、この30年で第1打を放つ機会は50万~60万打くらいあったでしょうか。
私の記憶が確かであれば(最近は怪しいところはありますが)、うっかり切ってしまった局は1度あったような・・・もしかすると2局あったかもしれませんが、ドラはともかく字牌に関しては、第1打に放つことは皆無に等しいと言っても過言ではありません。
A ツモ ドラ
B ツモ ドラ
C ツモ ドラ
滅多にこのような配牌はやってくるものではありませんが、A⇒ 、B⇒ 、C⇒ を第1打に切っていくのです。
そんな光景を見て、訝しげに「どうしてそんな理不尽なマージャンを打つのかな」、「そんなマージャンを見せてファンは喜ぶとでも思ってるのかな」、「かなりムリがある打ち方だからやめたほうがいいんじゃないの」等々、もうそれはそれはこの30年、罵詈雑言を浴びつづけてきました。
以前は『第1打に字牌を切らない主義』と胸を張っていましたが、勝ち星が減ってきた最近では、『第1打に字牌を切らない趣味』と半身に構えてディフェンスしている私。
それでも、この先の10年、20年、いえいえ生涯を閉じるまで、私が第1打に字牌を切ることはありません。
なぜそこまで・・・頑ななまでのこだわりをするのか?
一見するとメリットよりデメリットのほうが多い選択に見えてしまうのに・・・
最も大きな理由は、<師の教え>だからです。
雀鬼会に通い始めた平成4年には、第1打に字牌は切ってましたし、会の規則にもその教えは載ってませんでした。
翌平成5年になって会則に『第1打に字牌をきるべからず』が加わりました。
師はその理由をこう云いました。
「失礼!と言って序盤にオタ風を切るケースが目立ち過ぎる。失礼!と言えば済む話だと思っているかもしれないが、そういう話じゃない。もっと字牌のことを考えるように」
場風や自風ではなく、オタ風を序盤に切る際、会では「失礼!」と言って切ることが会則になっていました。
恐らく師は「失礼!」と言わせることによって、字牌の中でも役に立たないように思えるオタ風の孤立牌への意識を高めさせ、ひいては字牌全体への意識を高めて、字牌7種の存在意義を会員に問いかけていたのだと思います。
ところが、「失礼!」が常態化されてしまい、師の狙いと会員の意識が乖離し、見るに見かねての会則変更になったのです。
ただし、師は「麻雀の内容が師範代レベルに到達した者はその会則に縛られることはない」と付け加えていました。
確かに、初めて見たときの師は、第1打に字牌を切られていました。
でも、その会則変更以降、今日に至るまで師すらもただの1度も第1打に字牌を切らない事実、この事実こそが第1打に字牌を切らない、というか切ることなど到底できない最大の理由となっています。
古めかしい師弟関係の話ではなくて、麻雀の本質を見抜き、その心理に迫っていこうとする師に倣っていくのは当然の行為だと考えているからです。
もっとも、師にとって、私など弟子の範疇にすら入っていないはずで、ただただ私の独善的な考えに過ぎないこと、それを承知した上での話なのです。
※本文は東京麻雀アカデミー(雀友俱楽部テキストより)
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