2020年3月1日(日)~卓上から宇宙をみる~⑨
~卓上から宇宙をみる~⑨
<一打の重み>
一打の重み、この意味が理解できる打ち手はどれくらいいるのだろうか
ノスタルジックな感傷に浸って言っているのではなくて、忘れ去られようとしている大切なものを失いたくなくて、必死の思いで問いかけているのである
時代は確実に変わっているのだから、そうムキになって考えないほうがいいと窘められても、ムキになってしまう自分がいる
ツモ ドラ
東1局の西家、6巡目にを引き、一瞬考えたそぶりを見せながらも、結局を河に並べ、次巡を引いてくるとノータイムでを横に曲げていく打ち手たち
何か問題でも?そう言いたげな視線を感じながら、「べつに」と答えてしまうようになったら、私のプロ生活もおしまいである
先に挙げた手牌から、を引いてを打ってもいいし、をアンコにして即リーチをかけてもいいけれど、もっとその選択を掘り下げたうえで打ち出していって欲しいなと、心から願うのである
<他に選択肢は無いのかな?>と、どんな一打を放つときにも、自分が放とうとする一打に疑問符を持ったうえだ、その局面における《最善手》を選択していって欲しい
《最善手》だと思っていた一打が一瞬にして《悪手》に変化する局面だってあるわけで、自分の打った一打を無罪放免にしてはならない
小さなことを看過していると、大きな間違いにも鈍感になったり、見て見ぬフリをするようになる
だから、一打を放ったら、必ずその一打の行く末を検証する作業を怠ってはならない
一打の重みとは、そういう作業の繰り返しの中から生まれてくるのである
速くても軽い球はホームランされやすい
逆に遅くても重い球はホームランされにくい
また速い球は変化する球があってこそ生きてくるものであり、変化する球を持っていても、球が遅ければその効果は半減する
マンガンやハネマンをアガっても、その点棒がアッという間に無くなってしまったり、敵を幻惑する奇天烈なテンパイや仕掛けを駆使できても、重みのある手筋を持っていないと自滅していくのである
※本文は東京麻雀アカデミー(雀友倶楽部)テキストより
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