2021年10月1日(金)~卓上から宇宙をみる~㊼
~卓上から宇宙をみる~㊼
〔13枚の牌たちは、いつもあなたを見ている〕
配牌を取り、13枚の牌たちが目の前に現れるその瞬間、私は心の中で叫んでいます。
『よくぞ来てくれたね。でももう二度とこのメンバーが揃うことは無いんだよね。ありがとう。』
〔一期一牌〕という言葉が適切かどうかはわかりませんが、配牌で出会う13枚の牌たち、そして次々に訪れてくれる牌たち。
1局が終わるとき、14枚~32枚の牌たちとの出会いと別れ、それが麻雀というゲームの性格を表しているように思えます。
何切る式の問題などを考えるとき…たとえば次の手牌
ドラ
ここからの一打は何?と問われたら、「ふつうは だけど、ドラだからもったいないし、だったら が不要かなと思ったりするけど、3メン形が崩れるのがもったいないし…」
「う~ん、 を捨てようかなぁ…やっぱり…」みたいなこと、考えるのではないでしょうか。
では次の手牌はどうでしょう?
ドラ
「えっ⁉親の配牌かぁ」
「ちょっとキツイけど、不要な ・・ の数牌と、オタ風の 、それに役牌の ・ の孤立字牌の中からどれが一番いらない牌なのかなぁ…?」
「ドラが2枚あってアガりたい手だから、やっぱり から捨てていこうかなぁ」みたいなこと、考えるのではないでしょうか。
〔不要〕とか〔捨てる〕とか、麻雀を打っている人であれば気軽に使うこの言葉が、時として牌たちを傷つけていること、知っている人は少ないと思います。
~、~、~、~、この34種136枚の牌たちに、ありとあらゆる場面で助けられていること、忘れていたりしませんか?
忘れてしまうと、バラバラのアガれそうもない配牌が来たり、リャンシャンテンやイーシャンテンになってから、全く有効牌がやって来なかったりしたとき、こんなこと思ったりしてませんか。
『悪い配牌だな…』
『ムダヅモばかりだな…』
『ツイてないな…』
自分に都合よく展開している時だけ、やたら丁寧に牌を扱う人を見かけますが、牌たちは呆れてますよ。
あるいは悲しんでますよ。
あなたの目の前に並んでいる13枚の牌たちをよく見てください。
その牌たちの視線の先にあるものは…そうあなたの〔心〕なんですよ。
いつだって、そう。
絶好調モードで軽快に打っているとき、ウキウキモードで楽しげに打っているとき、有頂天モードでハシャいで打っているとき、牌たちはあなたを見ています。
そして病めるとき。
サンドバッグ状態でボロボロになっているとき、対局相手に嫌気がさし投げやりモードになっているとき、負けず嫌いの度が過ぎて荒れ果てた気持ちになっているとき、牌たちはじっとあなたのその憐れな姿を見ています。
この世で一番あなたの麻雀を見守ってくれている牌たちにもっと敬意を表し、もっと大切に扱い、もっともっと彼らと会話をしてみてはいかがでしょうか。
『またコーショーの奴、おかしなことを言ってるよ』
『そんな牌理とは関係ない話、考えるだけ時間のムダだよ』
『そんなことばかり言ってるから、オカルト雀士って言われちゃうんだよ』
そんな批判は百も承知で、麻雀が大好きな皆さんに、声を大にして言っておきたいんです。
〔あなたが手牌を見ているのではなく、牌たちがあなたを見ている〕、それが麻雀なんです。
明日からでいいんです。
手牌から何かを選択するとき、「これがいらないかな」と思うことはやめて、「これを切ろうかな」と思うようにしましょう。
そして切った牌が並んでいる部分を<捨て牌>と呼ばずに<河>と呼ぶようにしましょう。
どうしてこんな話をしているのかと言えば、皆さんにもっと目の前であなたを見ている牌たちと仲良くなって欲しいからなのです。
そして、牌たちと仲良くなって『もっと強くなりたい』『もっと極めたい』『もっと知りたい』という希望を叶えて欲しいのです。
※本文は東京麻雀アカデミー(雀友俱楽部)テキストより
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